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****** 世渡りと生きがい〔素読の行)VOL19**********
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1)はじめに
2)漢文読み下し文
3)古典漢文
4)陰陽思考法
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(1)はじめに
オリンピック柔道無差別級の篠原選手が審判誤審により敗退し銀メダルに
終わった。この問題は柔道を実体験し、実技で究めた選手が審判になってい
るものであれば、あの技を1本と判断できたであろう。 しかし審判員には
技術は未熟でも審判の検定にパスしたものがオリンピックの審判員になって
いることで形だけの審判に終始した結果、技を見抜けなかったのである。
このことを元世界柔道選手権チャンピオン、今格闘家の小川直也選手が語っ
て いた。
日本の国技の 柔道も世界では
剛道に変わりつつあるように思う。技でなく
力まかせの技こそ1本になり、相手の力を利用して投げる技は、外から見て
勝ち負けが判断しにくい、投げられた選手は1本取られて負けたと思ったこと
であろう。
(2)漢文読み下し文
l.柔(じゅう)
能(よ)く剛(ごう)を制し 、
弱(じゃく)能(よ)く強(きょう)を制する。
柔者は徳なり、剛者は賊なり。
2. 能く柔にして、能く剛なれば、
其の国 弥(いよいよ)光り、
能く弱にして、能く強なれば、
其の国 弥(いよいよ)彰(あら)われ。
純(もっぱ)ら柔にして、純(もっぱ)ら弱なれば
其の国 必ず削(けず)られる。
純(もっぱ)ら剛にして、純(もっぱ)ら強なれば、
其の国 必ず亡(ほろ)ぶ。
(3)古典漢文
1. 柔能制剛、弱能制強。
柔者徳也、剛者賊也。
(三略 )
2. 能柔能剛、 其国弥光。
能弱能強、 其国弥
彰。
純柔純弱、
其国必削。
純剛純強、
其国必亡。 (三略)
「六韜」(りくとう)−兵法の書、呂尚(りょしょう)太公望の著と伝えれる。
「三略」(さんりゃく)ー兵法の書、黄石公の著と伝えられる。
(4)陰 陽 思考法ー柔と剛
柔は陰
、剛は陽
弱は陰
強は陽
1 は 簡訳として
柔はしばしば剛に勝ち、 弱しばしば強をおさえる。
2 は 始の語
は表面上、外面から見て 柔、弱、柔、剛
後の語 は 裏面、 内面からみると 剛、強、弱、強
簡訳として
表面上
柔に見えて、内面は剛の国はますます栄えて、
表面上 弱に見えて、内面は強の国は力を発揮して
表面上 柔にして 、内面の弱 の国はいじめられ、
表面上 剛にして、 内面の強の国は滅びていく。
国において外交に柔軟に対処して、内政は剛、軍備も剛の国は栄え、
外交を剛にして、一歩も引かぬ押し一つ、内政も剛にして、軍備も剛
省みることができない国は自滅していく。
これは国について言っているが、人、物についても同じことを記すこと
ができる。
建物、橋梁でも日本のように地震の多い国では、高い建物、長い橋梁では
風が強い日には前後、左右、又上下に柔構造にできていて揺れている。
が芯は剛構造にできているため、耐震構造になっている。
人間においても強い、豪放磊落に思われる人が自ら命を絶つ人、病で若死に
したりする、外見上、剛にして、内面も強の人は弱みを見せることができず、
身体を 痛めてつけているのである。
国において剛にして強なる国は 国民を
痛めつけているのである。
スポーツにおいては
真の強い選手、秀でた選手は表面上、柔軟な、明るい
人が多い。 表面を柔にして、選手として戦う時剛となり、その差が大きい
選手はスーパーヒーローになっている。
格闘家の選手で、選手として剛にして、私生活を見ても強になっている人は
チャンピオンになっても、短命に
終わっている。
陰(裏)と陽(表)の差がない人は自滅して、
陰陽差が大なる人はますます
光り輝き魅力を増すのである。
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************ 世渡りと生きがい〔素読の行)vol 20
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1)はじめに
2)漢文読み下し文
3)古典漢文
4)陰陽思考法
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(1)はじめに
孔孟思想といえば、孔子と孟子の教えとなるが孔子から直接、孟子は教え
を受けていない。孔子ー曾子ー子思ーー孟子と伝わっている。
孔子の時代より200年後である、孟子は仁義礼智を説いている。
(2)漢文読み下し文
1.孟子(もうし)曰(いわ)く、人は恒(つね)の言(げん) 有(あ)り。
皆(みな)天下国家(てんか、こっか)という。
天下の本(もと)は
国に在(あ)り。 国の本(もと)は
家に在(あ)り。
家の本(もと)は
身(み)に在(あ)り。
簡約: 古典大学を短く解いた言葉である。
皆国のため、国家のためというが、国の元は家庭にあり、
家庭の元はわが身にある。 国を思うならばわが身を修める
ことが肝心である。
2.自(みずか)ら暴(ぼう)する者(もの)は、
与{とも}に言{い}う有{あ}るべからざる也{なり}。
自ら棄(す)つる者は、与(とも)に為{な}す有るべからざる也。
言(げん)、礼儀{れいぎ}を 非(そし)る、
之(これ)を自暴(じぼう)と謂(い)う。
吾が身、仁に居(お)り義によること能(あた)わざる、
之(これ)を
自棄(じき)と 謂{い}う。
仁は人の安宅{あんたく}なり。
義は人の正路{せいろ} なり。
安宅{あんたく}は曠{むな}しくして居{お}らず。
正路(せいろ)を舎(す)てて由{よ}らず。
哀(かな)しい哉(かな)
簡約: 自分を害する人とは共に話し合うことはできない。
わが身を捨てる人とは共に行動することはできない。
仁は人の安らかになる家である、義は人の正しい道である。
その道を通らないことは哀しむべきことである。
3.孟子{もうし}曰く、道は爾(ちか)くに
在り。
而(しか)るに 諸(こ)れを遠きに求む。
事は易{やす}きに在{あ}り。
而(しか)るに諸(こ)れを難(かた)きに求む。
人は人をその親を親として、
その長{ちょう}を長{ちょう}とすれば、天下{てんか}平らかなり。
簡約: 人の道は日々の生活のなかにある、が人は難しいことを求めている。
この世は、親を敬い、長を尊敬することが世の中を安定させる道である。
(3)古典漢文(孟子、離婁篇−りろうへん)
1. 孟子曰、人有恒言。皆曰天下国家。
天下之本在国。国之本在家。家之本在身。
2.
孟子曰、自暴者不可与有言也。
自棄者不可与有為也。
言非礼義、謂之自暴也。
吾身不能居仁由義、
謂之自棄也。
仁人之安宅也。
義人之正路也。
曠安宅而弗居。
舎正路而不由。哀哉
3. 孟子曰、道在爾。而求諸遠。
事在易。 而求諸難。
人人親其親。
長其長、而天下平。
(4)陰陽思考法−素読の意義
素読とは漢文を見て、(2)の読み下し文が口より発声することをいいます。
(2)の読み下し文を10回から20回声を出して朗読することにより、
古典漢文を見ることにより自然と口より読み下し文が出てくるようにするこ
とです。
(2)読み下し文を暗記する努力はお勧めしません。なぜなら知識になって
しまうからです。
知識になってしまっては今までの顕在教育と同じです。
只、只(2)の文章を声を出して朗読するのです。
そして漢文だけを見て
素読するのです。
漢文を必ず見て素読する、聴覚、触覚、視覚、口舌(味覚)、嗅覚の五感
を刺激して、この漢文を潜在意識に刻印していきます。
潜在意識に何回も刻印することにより
潜在意識と言う土壌に種が植えられ
ます、其の芽が育成されます、必要と思われる時には大きな稲となって五感
から表現されるようになります。
そのときからこれらの漢文の内容が体得
され、自分自身に、社会に役立つ実力、人格を創り出します。
読み下し文を暗唱できるようになることは顕在意識に刻印されたことです。
潜在意識に到達しません。これは素読の方法としては望ましくありません。
漢文を見れば、口から読み下し文が自然と出てくるが見ないと口から出てこ
ない状態がよい方法です。
暗記すると即言葉になって知識が増し表面だけで行動面には表現されません
意識的覚える努力は不要です、只、只
繰り返し素読するすることです。
現今、求められる人材は、知識と行動が一致した人間です。そのような人材
を育成するためには潜在意識に刻印してから顕在意識が知る必要がありす。
親を見下す、長を馬鹿にする態度は豊富な知識がさせています。
他人を批判
し過ぎると我が身に及んで自分の能力を鈍らせます。
人間の頭脳はそのよう
にできています。
従い、西洋的表面教育、知識教育をやめて潜在教育である素読を行うことが
今求められています。
最近、英語の教育に「音読」が
流行り始めてきました。これは意味の解らない
英語の発音を何回も聞き、自らも発音していくのです。
100回も発音するこ
とにより、会話が自然と口から出てくるのです。
全く素読そのままです。
英単語、文章をいくら暗記しても自然と口から出てくる英会話はできません。
覚えずに何回も声を出して発音するのです
覚える、暗記することは顕在意識に知識となり、実践には反映されません。
何回も発音、素読することは、考えずに口より言葉が出てきます、英会話も
古典漢文も口から自然と出てきます。
そのようになってこそ体得したことに
になります。
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